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元なでしこジャパン川澄奈穂美選手

プレーも考え方も生き方もアグレッシブ

アメリカ帰りの川澄奈穂美選手に大注目!!

元なでしこジャパン・川澄奈穂美選手はプレー同様、考え方も、生き方もアグレッシブな人だった。

サッカーを始めた林間SCレモンズは小学生年代までで、大和市の中学校には女子サッカー部がない。サッカーを続けたい川澄選手は、レモンズの代表加藤貞行さんに働きかけ、遂には自ら一緒にサッカーをするメンバー集めに奔走する。「結構いろんな人達に声掛けてたみたいですね。最初の年は12人か13人ぐらいで始まったんです。だったんですけど、その翌年とかも当然中学校に上がる子達入って欲しいなと思ってたんで、何とかそこでも電話攻撃をして、入ってもらって、本当にちょっとずつ、ちょっとずつメンバーが増えていってっていう感じです。」小学6年生でメンバーを集める行動力と熱量、ただモノではない。

私が思うに加藤さんも、後になでしこジャパンのワールドカップ優勝メンバーとなる川澄選手と上尾野辺めぐみ選手にサッカーを続ける環境を何とか整えてあげたかったのだと思う。幼馴染がフル代表まで一緒なんてキャプテン翼の大空翼くんと岬太郎くんぐらいで現実では他に例を見ない。

そしてマンガのような幼馴染二人が辿り着いたワールドカップ世界一の景色も現実的ではなかった。川澄選手は言う。「世界一の景色は、もうとてつもないです。もう、私、それこそね、代表になって世界一になりたいっていう思いを持ってずっとサッカーをやってきて、優勝したシーン金吹雪のところをテレビで見て、ああ私もいつかああいうことがしたい、ああいう舞台に立ちたいっていう風に思ってたんですよ。やっぱりそれを想像しながら、それを成し遂げる為にはどうしたらいいんだってことを日々やってきて、ああ優勝したらこれぐらい嬉しいんだろうなっていう想像とかもしてたんですけど、もう桁違いでした。もう、夢、夢の中にいるようだなって、まさにあの瞬間でしたね。」

世界を極めた川澄選手、女子サッカーの本場、アメリカで9シーズンを過ごし、今シーズンから日本のアルビレックス新潟レディースでプレーする。見せたいプレーはアメリカとのハイブリッドみたいな感じだという。プレーの質だけではなく、女子サッカーの人気も地位も高いアメリカの選手の発信や地域やファンとの関係など、日本に持ち帰って欲しいものは多い。プレーで、プレー以外の行動と言動で日本の女子サッカーそのものを変えていって欲しい。そんな期待を抱かせるパワーが川澄選手にはあった。

               モリタニブンペイ


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