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横浜Fマリノス・水沼宏太選手

水沼宏太選手はプレー以外もお父さん似!宏太選手に流れるトリコロールの血!!

サッカー選手としての水沼宏太選手は水沼家の子育ての最高傑作である。誰からも愛される社交的な性格。性格がそのまま形になったようなプレー。選手を語る前に人柄を語ってしまいたくなる。そんな選手なのだ。

横浜FマリノスのOBでもあり、日本代表でも活躍した名選手、水沼貴史さんを父に、同じサッカーの道を歩むことは、アドバンテージ以上に、周囲の期待やプレッシャー、さらには嫉妬渦巻く険しいものだったはずだ。でも宏太選手は言い切った。「嫌だっていう気持ちは正直一回も思ったことはない。父のことも嫌だっていう気持ちにもなったことない。いつからか一緒に有名になってやるっていうマインドに変わっていた。」

宏太選手の言う「父と一緒に」、それは父と同じマリノスで成功することに他ならなかった。「自分にとっては、プロサッカー選手=マリノスの選手、プロサッカーチーム=マリノス」というのだから。ユースからトップへ進み、プロデビューと既定のコースを進んでいるように見えた宏太選手のサッカー人生はマリノスというトップクラブゆえの困難に直面する。チーム状況もあり中々ポジションをつかめず、出場機会を求めマリノスを離れることになったのはご存じの通り。しかし、ここからが宏太選手の本領発揮である。チームのやり方、監督の考え方を理解することからから始めて、チームに必要とされる選手になる。自分のプライドやプレースタイルはひとまず置いておいて、サッカー選手として生きる道を探る中で自分の活きる道を探し出す。

宏太選手曰く「栃木でも鳥栖でも、FC東京でも、セレッソでも、僕は行く先々で本当に人に恵まれた。必ず自分を助けてくれる人がいた。」。これは逆もまた真なりだと思う。それは宏太選手のプレースタイル、献身性が示している。「チームが勝つ為に意識せずとも声を発してるとか、仲間を助けたりとか、でも結局それやってると自分が助けてもらえる。仲間がきつそうだったらその分走りたいし、自分がきついなって思ったら走ってくれるだろうなっていう風に思えるし、その信頼関係がサッカーの醍醐味だなっていう風に思うので。」チームを思い、他のプレーヤーを思う、そんな選手をチームメイトやコーチが助けない訳がない。

結果、鳥栖では豊田洋平選手、セレッソでは杉本健勇選手、マリノスでは前田大然選手など宏太選手と好連携を築いたフォワードが日本代表へ駆け上がっていった。そうしたことが評価されて、マリノスの生え抜きで、一度チームを出されて戻った選手になるわけである。(※中村俊輔選手は出されたという表現には当たらないので除外)

「今の自分だったらマリノスで活躍出来るっていう自信があったので来ました。」宏太選手の移籍が正しかったことと、10年分の成長は現在の活躍が証明している。回り道をしたが、少し内またのドリブルと蹴り方だけでなく、その存在がスターでありながらも脇役にも成れて、監督が代わっても重宝され続けた父、貴史さんを彷彿とさせる。そう水沼宏太選手にはトリコロールの血が流れている。

                モリタニブンペイ




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