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JTマーヴェラス・籾井あき選手登場!

相模原にはバレーボール日本代表・籾井あき選手の少女時代を取材されることを心待ちにする人たちがいた。

相模原のヒロイン、籾井選手の活躍で地元が沸く日が待ち遠しい!

オリンピックやワールドカップの時、テレビで選手の地元の方たちの応援風景が紹介される。バレーボール日本代表セッター籾井あき選手の地元、相模原市には、わが街のヒロインの活躍を心待ちにする人がたくさんいた。

相模原市立中央中学校で籾井選手に保健体育を教えていたという田口晶子先生は言う。「籾井の話だったらいくらでも話せる。サッカーの浅野琢磨選手のように世界大会で大活躍して籾井さんの話を取材される日を楽しみにしています。」田口先生だけではない。担任だった郡司祐太郎先生も現中央中の校長、野口宏之先生も同様だという。

では、どのように地元の応援団は出来上がっていくのだろう。田口先生の話によれば、籾井選手がいた頃の中央中にはバレーボール部には、部の顧問の先生も含め、バレー経験者が籾井選手しかおらず、練習メニューも作戦も全部籾井選手が考えていたという。「凄く楽しくて、みんなの上達が目に見えて毎日が進んでいくこと。仲間がどうしたら上手になってくれるんだろうとか、どうしたらもっと思いっきりやってくれるんだろうとかばかり考えていた。みんな協力的で、凄く一生懸命で向き合ってくれて、本当に一生の仲間に出会えましたね。」

実は中学入学後籾井選手は小学校時代のきついクラブ活動に嫌気がさし、バレーボールを一時期離れていた。その彼女をバレーボールに引き戻し、日本代表への道を方向づけたのは、下手でもバレーボールが大好きで、彼女を頼りにするチームメイトの存在だったのだ。

そんなチームメイトの為に籾井選手は決死のプレーをする。これも田口先生の話。「中学3年生最後の県大会、あきさんは利き手の指を骨折していてスパイクが打てないのでセッターをやって、県ベスト16までチームを導いたのが忘れられません。当時から頑張り屋でした。」けがを押してプレーする籾井選手と彼女に頑張りにこたえようとするチームメイト。見る人の胸を熱くし、籾井あきという選手を強く深く印象付けたはずだ。

地元の応援は籾井選手の元にも届いていた。「期待されることは本当に幸せなことで、誰もが出来ることじゃない。スポーツの世界は結果でしか恩返しが出来ないと思っているので、一生懸命戦っている姿をお見せするのもそうですし、結果をしっかり残して恩返ししたいなって思っています。」期待されて成長し、期待に応えることでヒロインになっていく。ヒロインの活躍が地元を元気にする。相模原のそんな光景をパリオリンピックの時にぜひ見たいものだ。

                モリタニブンペイ

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