top of page

東京パラリンピック銀メダリスト   富田宇宙選手登場!


障がいを活かす

富田宇宙選手がたどり着いた生き方

本日のゲストは、東京パラリンピック競泳男子で、3つのメダルを獲得した富田宇宙選手。富田選手が男子400メートル自由形(視覚障害S11)で銀メダル獲得後、語った「障がいを負って、自分が思い描いていた人生とは全く違う道を歩むことになったけど、水泳でメダルを獲ることを見せることが出来て、自分が障がいを負った意味がこの瞬間にあったのかなと。メダルを頂いてそういう実感が湧いてきた」この発言に、こんなことを言える人がいるんだ!?と感動して、出演をオファーした。障がいを負った意味とはどういうことなのか、聞いてみたかったのだ。

 そしてそれはとてつもなく深く、複雑で、残酷な思考の末にたどり着いた、哲学的な意味だった。まず当たり前のことかも知れないが、いつかは視力を失う進行性の難病にかかった時、富田選手は「人生が終わったなと、はっきり思った」という。そして今もポジティブに切り替えるという感覚、気持ちは持っていない。障がいを負ってから、チャレンジしては諦めての繰り返しで、その中で、どう生きていけば少しでもベターな人生が送れるかを考えてきた。

 熊本県一の進学校に学び、大学進学、そして就職を自らの学力で切り開いていこうと考えていた。富田選手はスポーツを仕事にすることは、自分と一番遠いことだと考えていた。その富田選手がプロのパラアスリートとなった理由は、自分の障がいを活かして活動することを考えた結果だいう。障がいを活かす、富田選手独特の言い回しだ。障がいを負った後も「健常者の人と変わりなくするにはどうしたらいいかを模索してきたんですけど、視覚が悪くなるにしたがって限界が来てしまったんです」。そう障がいを活かすとは、一つの諦観から生まれた、健常者には絶対に出来ないこと、パラアスリートという逆転の発想だ。こうも言う。「自分にしか出来ないこと。目が見えないことをプラスに出来ることの選択肢を考えないと、僕の場合は生きるのが苦しいなと感じました」

 富田選手にとって、パラ競泳は仕事だ。障がいを抱えていてもチャレンジすること。困難を受容する経験も含めて、泳ぐことで伝えて、社会にプラスのインパクトを与えることが職務なのだ。その職務達成の瞬間、それがメダル獲得だった。富田選手が障がい者だから達成できたこと。そしてそれは、富田選手が障がいを、少しだけでもポジティブに捉えることができた、初めての瞬間だったのかもしれない。そう思う。

                   モリタニブンペイ


bottom of page