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ブラインドサッカー・寺西一選手

気付ける感覚を高めることは誰にも優しい社会、それが本当のバリアフリーだ‼


寺西一選手は東京パラリンピック・ブラインドサッカー日本代表という選手の顔と、ブラインドサッカーの人気講師という二つの顔を持っている。講師として人に話を伝えるコツを伺うと、笑える、掴みとなる話を用意して、付け焼刃ではないご自分の実体験に熱を込めて、体重載せて話すことだと言う。確かに、寺西選手の話は本当に笑えて、楽しかったという印象と共に、ものすごく心に残る深い、考えさせられる話がたくさんあった。

例えば、視力を失って、ブラインドサッカーを始めたらコートの中は電車も走っていないし、落ちたりもしないし、自由だったという、ブラインドサッカーを始めて感じた歓びを語られた時、話の前に、ホームから転落して亡くなった仲間の話を挟まれるので、僕らが当たり前に享受している安全がどれほど素晴らしいのかがよく分かったし、目の不自由な方の日常を強く強く考えさせられて、目が見える自分が感じることのない、寺西選手が感じた自由の歓びまでリアルに伝わってきた。

寺西選手は、子供の頃、視力の低下が始まっていたが、普通の小学校に通っている。中学校で盲学校に通いだしたころ、目が不自由なクラスメイトばかりという状況に、「自分以外に同じ様に、視覚に障がいを持ってる人が周りにいるっていう状況がなかったので、結構混乱しました。」という。盲学校は目の不自由な寺西選手に必要な学びの場だったはずだが、目に障害を持った寺西選手を健常者が自然に手助けする小学校のコミュニティが当たり前の社会だと思う。寺西選手は大学で再び健常者と机を並べている。健常者用に作られたプログラムを学ぶにはご苦労もあったと思う。しかし、そこで培われたものが寺西選手の誰にもフランクに話す姿勢に表れている気がする。

東京パラリンピックを経たレガシーについて寺西選手はこう話してくれた。「日本はテクノロジーの部分、ホームドアや階段下る自動昇降機、ノンステップバス、そういったテクノロジーの部分って凄く進んでいると思う。ただそこだけを変えていくんじゃなくて、それぞれの人の心っていうか、何か困っている人いないかなって気付ける感覚であったりとか、そういう部分も高めていけると、誰にとっても住み易い社会っていうのが出来るんじゃないかなって思います。」人に優しいとはハードではなく、人が優しいのが理想なのだ。

ブラインドサッカー選手、寺西選手との出会いは、僕にとって大きな学びの宝物になった。ぜひ皆さんにも、ブラインドサッカーの試合や体験会、機会を見つけて参加していただきたい。きっとご自分の優しさレベルを一つ高めることになるはずだ。

                  モリタニブンペイ

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