夢の続きを見ようじゃないか!日立への恩返しを誓う慶應ボーイ・生井惇己投手の笑顔の先にある未来!!

日立製作所野球部・生井惇己投手のスポーツヒーローは「逆境を乗り越えてきている人。」生井投手自身がまさにそんな人だった。
慶應義塾大学4年生の春の六大学野球のマウンド、その年の秋の有力なドラフト候補として、自分を売り込む晴れ舞台で左肘の内側側副靱帯を断裂。目の前に続いていた陽の当たるまっすぐに伸びるスターへの道が、一瞬にして消えて、プロ一本だった分、就職先もない。これ以上はない逆境の中で、救いの手を差し伸べてくれたのが
ケガのリハビリ中でも採用してくれた日立製作所野球部だった。3年ぶりに出場を決めた都市対抗野球で会社に恩返しがしたい、本心からそう思う気持ち、良くわかる。
言うことは古風なのだが、そこに悲壮感はない。生井投手の根底にあるのは、高校、大学と慶應でしみ込んだ“エンジョイ・ベースボール”だ。でも、ただ楽しむだけじゃない。「僕としての解釈は、強くないと楽しくないっていうのがある。楽しむ為にもしっかり練習して、試合中笑えるように、その為に必死に練習している。」確かに、都市対抗野球出場を決めた試合でも、最終回ピンチの場面でも生井投手は笑っていた。「笑ってたら何とかなるって思ってずっとやっているので。本当だったらあの時の場面では全然笑えるような状況じゃなかったと思いますし、今までも笑えるような状況じゃなくても無理して笑って、何とかいい方向いい方向に、明るく明るくっていうのでやってきたので、それが形になったのかなっていう風に思ってます。」
ドラフト候補としての生井惇己投手を暗転させたケガだが、生井投手はそれすらも糧にしていた。「いろんな逆境を乗り越えて今があると思うので、またメンタル的に強くなったのはひとつ良かった」。
野球を心底楽しむために、笑いながらマウンドに立ち、精一杯腕を振る。創部109年の名門が未だ成し遂げたことのない都市対抗野球優勝。茨城県日立市から毎週休みの日は横浜に来る、浜っ子の生井投手が歴史を変える瞬間、その先には一度途切れたプロへの道も繋がっているはずだ。
遥か長い道のりを歩き始めた生井投手に幸あれと願いたい!頑張れ、生井惇己投手!!
モリタニブンペイ