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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組Xで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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西園寺 加栞

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『 Butter-Fly   / 和田光司 』

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日立製作所野球部・生井惇己投手のHero's Musicは、和田光司の『Butter-Fly』です。「小さい頃、デジモンというアニメの主題歌なんですけど、その時からずっと大好きな歌で、夢を追いかけている自分を想像しながらいつも聞いているので、大事な試合の前やモチベーション上げたい時に聴いている曲です。」

夢の続きを見ようじゃないか!日立への恩返しを誓う慶應ボーイ・生井惇己投手の笑顔の先にある未来!!

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日立製作所野球部・生井惇己投手のスポーツヒーローは「逆境を乗り越えてきている人。」生井投手自身がまさにそんな人だった。

慶應義塾大学4年生の春の六大学野球のマウンド、その年の秋の有力なドラフト候補として、自分を売り込む晴れ舞台で左肘の内側側副靱帯を断裂。目の前に続いていた陽の当たるまっすぐに伸びるスターへの道が、一瞬にして消えて、プロ一本だった分、就職先もない。これ以上はない逆境の中で、救いの手を差し伸べてくれたのが

ケガのリハビリ中でも採用してくれた日立製作所野球部だった。3年ぶりに出場を決めた都市対抗野球で会社に恩返しがしたい、本心からそう思う気持ち、良くわかる。

言うことは古風なのだが、そこに悲壮感はない。生井投手の根底にあるのは、高校、大学と慶應でしみ込んだ“エンジョイ・ベースボール”だ。でも、ただ楽しむだけじゃない。「僕としての解釈は、強くないと楽しくないっていうのがある。楽しむ為にもしっかり練習して、試合中笑えるように、その為に必死に練習している。」確かに、都市対抗野球出場を決めた試合でも、最終回ピンチの場面でも生井投手は笑っていた。「笑ってたら何とかなるって思ってずっとやっているので。本当だったらあの時の場面では全然笑えるような状況じゃなかったと思いますし、今までも笑えるような状況じゃなくても無理して笑って、何とかいい方向いい方向に、明るく明るくっていうのでやってきたので、それが形になったのかなっていう風に思ってます。」

ドラフト候補としての生井惇己投手を暗転させたケガだが、生井投手はそれすらも糧にしていた。「いろんな逆境を乗り越えて今があると思うので、またメンタル的に強くなったのはひとつ良かった」。

野球を心底楽しむために、笑いながらマウンドに立ち、精一杯腕を振る。創部109年の名門が未だ成し遂げたことのない都市対抗野球優勝。茨城県日立市から毎週休みの日は横浜に来る、浜っ子の生井投手が歴史を変える瞬間、その先には一度途切れたプロへの道も繋がっているはずだ。

遥か長い道のりを歩き始めた生井投手に幸あれと願いたい!頑張れ、生井惇己投手!!

        モリタニブンペイ

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来週のゲスト

中澤佑二さん(元サッカー日本代表)

中澤佑二さんは埼玉県出身の47歳。

高校卒業後に、単身ブラジルへサッカー留学。

98年に現東京ヴェルディに練習生として加入すると

翌年プロ契約を勝ち取り、Jリーグ新人王を獲得。

日本代表初招集とスターへの階段を駆け上がります。

2002年横浜F・マリノスに移籍すると引退した2018年シーズンまでマリノスの守備の要として活躍しました。

日本代表でも長年中心選手として活躍し、出場数は歴代4位の110試合を記録。

今も多くのサッカー関係者が史上最強のセンターバックと讃えるレジェンドです。

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