top of page

横浜DeNAベイスターズ京田陽太選手

京田陽太選手、横浜へようこそ!

シーズン終了後に、横浜に来て本当に良かったと言ってください!!


京田陽太選手の中日ドラゴンズから横浜DeNAベイスターズへのトレードを報じた新聞には“電撃”の文字が躍った。昨シーズンこそ不調で2軍落ちもしたが、京田選手は入団1年目からショートのレギュラーとなり、新人王を獲得。その後も走攻守三拍子そろった選手として活躍して選手会長も務めていた、いわば球団の顔。ドラゴンズファンならずとも電撃だった。それは京田選手ご本人が一番衝撃を受けたことでもあったはずだ。最初にトレードを告げらえた時の話から始まったインタビュー、京田選手は一言も中日への恨み節は語らなかった。ただ感謝、感謝、感謝という言葉を何度も繰り返した。それはベイスターズへの感謝でもあった。「チャンスをベイスターズさんに頂いたので、嬉しかった。」

そして心機一転、ベイスターズで選んだ背番号は中日時代のチームメイト、2021年に亡くなられた木下雄介投手と同じ98番。「同期入団でもありますし、凄い友達というか、家族ぐるみでもよく食事に出かけたりとか、シーズンオフには一緒にどこかに出かけたりとか、まさか亡くなるとは思ってなかったんですけど、僕にとっては大切な方でしたので、また一緒に戦えたらなと思って。」大好きな野球を諦めきれずに育成から這い上がった亡き親友は志半ばで病に倒れた。大好きな野球を是非と請われた横浜で続ける京田選手の感謝と誓いが良く表れた背番号だと思う。

「試合に出たいのでポジションはもうどこでもやるっていう気持ちです。」と語る京田選手。キャンプ中はサードの守備練習もやっていた。厳しいポジション争いの中にある京田選手、アピールポイントは?という問いに特にないと謙虚すぎる答えの後で、「一つあるとすれば140試合近く試合に出続けれる体力というか、そこは自分も自信のあるところですし、やっぱり140試合って結構きついんですよね。」中日で何年もレギュラーを張ってきた矜持が垣間見えた。

目下の課題は好不調の波を減らすこと。「安定した成績を残す為にはちゃんとしたタイミングの取り方であったり、バットの出し方とか、そういうところを今、石井コーチといろんなことを話し合いながらやっている。」という。広島で鈴木誠也選手、ヤクルトで村上宗孝を育てた同じポジションの名伯楽は最高のアドバイザーになってくれるはずだ。

謙虚な言葉が続いたインタビューは、新たなシーズンに挑む京田選手の強い決意が感じられた。「俺はこれからだ」と。シーズンが終わった時、横浜に来てよかったと、心から思って欲しい。そして僕らは、刺激的な補強を喜んでくれた京田選手に感謝したいと思う。

モリタニブンペイ

bottom of page