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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組Xで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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西園寺 加栞

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『  HAPPY END / Chilli Beans 』

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トヨタ自動車所属、陸上400mH・豊田兼選手のHero's Musicは、Chilli Beans.の『HAPPY END』「この曲は、去年オリンピック悔しくて、ケガをしてもう選手村の中で外にも出ず部屋にこもっている時にずっと聴いてた曲で、何かそのサビのところで、アスファルトのような頑なな信念みたいなのを思って未来に進んでいこうみたいなことを言っていて、それが凄い自分に、当時の心境に刺さって、今でも聴く曲かなと。」

パラリンピック出場を夢見てから24年。パラカヌー宮嶋志帆選手に学びたい、夢を諦めない大切さ!!

夢を追いかけることの素晴らしさ、大切さを宮嶋志帆選手に、改めて教えられた気がする。

8歳でパラリンピックに出たいと夢見てから、実に24年。その実現のために、2度競技を変えて挑戦を続けた。それは言い換えれば、2度の大きな挫折でもあったわけだ。それでも宮嶋選手は諦めなかった。

宮嶋選手は3歳で水泳を始めた。最初は左足が短いというハンディキャップのために

まっすぐ進めずにぐるぐる回ってしまった。自分にぴったりする泳ぎを見つけて、まっすぐ25メートル泳げるようになったのは水泳始めて7年後、10歳の時だったそうだ。

僕だったら、この前に自分には向かないと諦めていたと思う。

この過程は健常者が泳げる人の真似から入って泳ぎを覚えるのとは違って、宮嶋選手がオリジナルの泳ぎを編み出す作業だったわけだ。長じてカヌーを始めてからも同じ。「私は左足がない分、体の重さが左右で違ってきますので、カヌーに乗った時にバランスを取ることが難しくなったりだとか、後は、発揮出来る力に左右差が出てくるので、ちょっと曲がりやすくなるという点はあります。」このように宮嶋選手は常にいろんな試行錯誤と努力を繰り返してきた。

小さいころから、出来ないからあきらめるのではなく、常に自分に合う方法で目標達成を目指していたからこそ、水泳がダメでも、ボート、足をケガしてボートを断念せざるを得なくなってもカヌーに挑戦する柔軟さが養われたのだろう。

「夢をかなえられないかもしれないと思ったとしても、違う形でその夢に近づけるんじゃないかというのをずっと考え続けるのが大事なんじゃないかな」という宮嶋選手の言葉、是非、リスナーの皆さんも目の前に困難があって、諦めざるを得ないかなと思った時に思い出してほしいと思う。

僕も、この番組を通じて誰か一人でも背中を押したい、その夢を実現する方法をあれこれ考えて、トライし続けていきたい。そしていつか宮嶋選手のように努力した日々を「何か今思ったらあっという間だったなって思うんですけど、はい。」と笑いたい。

           モリタニブンペイ

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来週のゲスト

三森大貴選手

(横浜DeNAベイスターズ)

三森大貴選手は埼玉県出身の26歳。

俊足と広角に打ち分けるバッティングが持ち味の内野手です。

青森山田高校から2017年、ドラフト4位で福岡ソフトバンクホークスに入団。

2022年、2023年と2年連続で100試合以上に出場しましたが、昨シーズンはケガの影響で25試合の出場にとどまり、オフに浜口遥大(はまぐち・はるひろ)投手との交換トレードで横浜DeNAベイスターズに移籍しました。

今シーズンは開幕から、巧みなバットコントロールでヒットを放ち、すでにチームには欠かせない存在となっています。

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