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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Flying B / AK-69 』

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サントリーサンバーズ大阪・小野寺太志選手のHero's Musicは、AK-69の『Flying B』。「歌詞にもあるんですけど、地べたから来たみたいな部分が僕に凄い合ってて、うまくいかない時期だったり、なかなか結果が出なかった時期を経験しているからこそ、羽ばたく為の羽が生えたっていう部分の歌詞があって、そこが凄い格好良くて、毎回試合の前だったり、大事な時には聴いてます。」

全てはパリオリンピック金メダルへのドラマ!文田健一郎選手はピュアで素敵なひとだった!!

パリオリンピック・レスリンググレコローマンスタイル60キロ級金メダリスト、文田健一郎選手の話を聞きながら、もし金じゃなかったら、この人はどう人生と折り合いをつけたのだろう、そんなことまで考えてしまった。

文田選手は金メダルを獲って、やっと東京オリンピックの銀メダルが飾れるようになったという。「銀メダル獲れて良かったなっていう思いもなかったので、やってきたこと間違いだったと思う程、凄くショックで、何年も銀メダルは直視出来ないくらい、凄く嫌な思い出として僕の中に残っていました。」銀メダルも、本人の大変な努力の結果で勲章なはずだが、それが自分の失敗の証のように思えてしまう。それ程までに、金メダルへこだわりが強かったということだろう。

こだわりは自分のレスリングスタイルへのこだわりでもあった。反り投げが得意で、オリンピックで、そり投げで勝つことに強い想いがあった文田選手。結果は初戦から決勝まで1回も投げることが出来ずに、決勝で敗れてしまう。その後、投げにこだわるレスリングは間違っていた、自分が考えていたことは全部間違ってたと思ってしまったというのだからピュアにも程がある。

昨年の世界選手権決勝での敗戦で、文田選手本来のレスリングを思い出した話も、それが昨年の世界選手権決勝でキルギスのジョラマン・シャルシャンベコフ選手に投げられて目が覚める。試合は負けたものの、この試合で文田選手本来のレスリングを思い出す。シャルシャンベコフ選手とはオリンピック準決勝で再戦。勝った後、文田選手は「君は最高の選手だ。僕が優勝するから、君も次勝って銅メダルを獲得してくれ。そしてこの準決勝が事実上の決勝戦だったことを証明しよう。」と語りかけたという。それは偽らざるリスペクトと感謝だった。最強のライバルがいなければ、金メダルはなかったのだから。

父、文田敏郎先生の素敵な子育てに始まり、東京の銀メダル、その後のスランプ、ライバルとの邂逅も、全て金メダル獲得の大団円への壮大な物語だった、そう思った。

そして目標を達成したその先に出来たできた文田選手の新たな目標が世界一のパパになること。文田健一郎選手、どこまでもピュアで素敵な人だった。

           モリタニブンペイ

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来週のゲスト

野﨑零也選手

(川崎ブレイブサンダース)

野﨑零也選手は佐賀県出身の29歳。

ふたりのお兄さんの影響で小学生の時にミニバスを始め、白石町立有明中学校から佐賀県立佐賀東高等学校、白鴎大学へ進み、大学時代には関東大学リーグ戦、インカレで優秀選手賞を受賞。

また、U-22日本代表候補にも選ばれています。

大学3年生から2シーズン連続でファイティングイーグルス名古屋の特別指定選手に登録され、卒業後にプロ契約。

群馬クレインサンダーズを経て昨シーズンから川崎ブレイブサンダースに加入しました。

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