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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Fighting Man  /   清木場俊介   』

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横浜ビー・コルセアーズ キング開選手のHero's Musicは、 の清木場俊介の『Fighting Man』。「とにかく歌詞が良くて、自分のモチベーションを高めるような歌詞、どんな高い壁があってもそれをぶっ壊して突き進めっていうような曲なんですけど、もちろん自分の人生にアップダウンがあって、バスケがあまり上手くいっていない時でもこの曲を聴いてモチベーション上げてよし明日も頑張ろうって気持ちになるのでこの曲を選びました。」

リオデジャネイロパラリンピック銅メダリスト辻沙絵選手に期待したい

偉大なアスリートの共通項

世界大会でメダルを獲るほどのトップアスリートには、いくつかの共通項がある。まず運と縁。リオデジャネイロパラリンピック陸上女子400メートル腕に障害のあるクラスで銅メダルを獲得した辻沙絵選手もそうだ。

辻選手のポテンシャルを引き出したハンドボールとの出会い。たまたま地域にハンドボールクラブがあって、小学校の担任の先生がコーチだった。ここまでならよくある偶然だが、そこでは終わらない。その担任の先生が、大学時代に辻選手と同じように腕の欠損をもった後輩のハンドボール選手と一緒にプレーした経験があった。何という縁だろう。

縁は続く。中学校のハンドボール部は全国大会に出るほどの強豪。競技レベルも格段に向上するが監督は辻選手が入部届を出す時に「あなたが障がい者だからといって特別扱いすることありませんけど大丈夫ですか?」と言ったという。その時、辻選手は「この人は私を障がい者という目で見るのではなくて、ひとりの人間としてちゃんと見てくれようとしている。この人だったら自分の努力をちゃんと正しく評価してくれるんだなって思ったんですよ。」こう話す時も辻選手は嬉しそうだった。

ハンドボールの全国的強豪、水海道二高時代の恩師は手のハンデキャップを足で稼ぐスタイルで辻選手を引き上げた。振り返って、「先生達も上手く引っ張ってくれるというか、私が諦めることなく次々課題を出してくれるので、はい。本当に凄い先生方にめぐりめぐって教えていただいて、本当に凄い嬉しい気持ちですね。」

子供時代から、出来ないと思わずに、出来るまでやるっていう、辻選手の考え方はご両親の影響だった。「うちの母ですけれど、『小学校に上がって靴紐のある靴とマジックテープの靴、どっちの靴履きたい?』って言われて、その時、流行っていた厚底の靴は靴紐の靴だったので選んだら、『じゃあ靴紐の練習します』って言って、一緒にどうやったら結べるようになるのかっていうのを考えたり、履くまで待ってくれた。」

辻選手の成長を手助けしながら温かく見守る人との出会いの運と縁。それを引き寄せたのは、子供の頃から負けず嫌いで誰よりも努力をした辻選手の頑張りで、これもメダリストには欠かせない才能である。

ハンドボールの世界で、少し他の選手よりも時間はかかったとしても、やれないことは無いを証明し続けてきた辻選手がパラスポーツに挑戦した理由は、私にしかできないことをやる。競技生活の集大成、パリパラリンピックでの活躍とその後も辻選手にしかできないことを追求して欲しい。それは共生社会の実現に大きな意味を持つと思う。社会的に大きな存在になる、それが偉大なアスリート辻沙絵選手に相応しい共通項だ。

                      モリタニブンペイ

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来週のゲスト

内海春菜子選手(サクラセブンズ)

内海 春菜子選手は相模原市出身の24歳。

6歳から相模原ラグビースクールでラグビーを始め

高校は國學院大學栃木高等学校、大学は流通経済大学と強豪校でラグビーを続けます。

大学卒業後、地元神奈川のヨコハマ・ティーケイエムに入団。

2022年から7人制女子日本代表、サクラセブンズのメンバーとなります。

そして昨年11月パリオリンピック出場をかけた7人制ラグビーアジア予選で優勝し、3大会連続のオリンピック出場を決めたサクラセブンズでも活躍しました。

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