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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Flying B / AK-69 』

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サントリーサンバーズ大阪・小野寺太志選手のHero's Musicは、AK-69の『Flying B』。「歌詞にもあるんですけど、地べたから来たみたいな部分が僕に凄い合ってて、うまくいかない時期だったり、なかなか結果が出なかった時期を経験しているからこそ、羽ばたく為の羽が生えたっていう部分の歌詞があって、そこが凄い格好良くて、毎回試合の前だったり、大事な時には聴いてます。」

華麗なキャリアだけではわからない、日本一のクオーターバックは誰よりも努力した男だった!


高木翼選手は言った。「誰よりも努力をした。その自負はあります。」

お話を伺うまで、プロフィールの経歴だけをなぞって、挫折知らずのエリートをイメージしていた。実際、非常にスマートでクレバーな方だったが、しかしその本質はド根性、ガッツの塊のような選手だった。

将来を約束されたメガバンクを辞めて、当時Xリーグ・ナンバーワンのQBコービー・キャメロン選手のいる富士通に転職して移籍。コービー選手の技術的なことから、リーダーとしての立ち振る舞いも含め、全て盗んでやろうと学ぶこと2年。その後も新たにチームに来たアメリカ人QBの後塵を拝して、控え選手生活は5年。「悲観的になることもなくはなかったんですけど、そんなことを考える暇があったら行動しようと頑張ってました。」

そしてチーム内ライバルのケガによって突然訪れたチャンス。「これが人生で一度きりのチャンスだろうなという思いがあった。これを逃したら、もう一生自分に陽が当たることはないだろうと思った。」言い換えると、これが最後、そう思うほど、高木選手は追い込まれていたわけだ。

そして高木選手はたった一度きりのしかも最後のチャンスをものにして、チームを日本一に導いた。全くゲームに出ていなくても、「不思議と自信があった」と高木選手は振り返っていたが、それは常にフィルムスタディでプレーの研究、自分のチーム、相手チームの研究をし、フィジカル、そして技術のトレーニングを重ね、這いつくばって、のたうち回って、努力しきたからだったわけだ。それが冒頭の発言につながったのだ。

「誰よりも努力をした。その自負はあります。」

高木選手の次なる舞台はアメリカンフットボール日本一を決めるライスボウル。ロングパス決める超かっこいい高木選手、苦労話も知れば、もっとかっこよく見えるはずだ。日本最高のアメリカンフットボール、富士通フロンティアーズと高木翼選手は日本一の舞台がよく似合う。

           モリタニブンペイ

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来週のゲスト

野﨑零也選手

(川崎ブレイブサンダース)

野﨑零也選手は佐賀県出身の29歳。

ふたりのお兄さんの影響で小学生の時にミニバスを始め、白石町立有明中学校から佐賀県立佐賀東高等学校、白鴎大学へ進み、大学時代には関東大学リーグ戦、インカレで優秀選手賞を受賞。

また、U-22日本代表候補にも選ばれています。

大学3年生から2シーズン連続でファイティングイーグルス名古屋の特別指定選手に登録され、卒業後にプロ契約。

群馬クレインサンダーズを経て昨シーズンから川崎ブレイブサンダースに加入しました。

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