スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

『  がんばれ / Honey L Days 』

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横浜DeNAベイスターズ桑原将志選手のHero's Musicは、Honey L Daysの『がんばれ』。「僕自身頑張っていない訳じゃないですけど、もちろん毎日全力尽くすのが僕のモットーなんですけど、それの背中押してくれるような、さらに頑張ろうっていう気持ちにさせてくれる曲ですね。」

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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安江祥光選手には雑草グリーンのユニフォームがよく似合う!

安江祥光選手はご自身を雑草だと言った。雑草には雑草らしいキャリアがあるとも。

安江選手のラグビー雑草人生は、帝京高校時に遡る。帝京高校と言えば、高校野球と高校サッカーの超名門。両雄がそう広くはないグランドを2分して工夫して練習をする姿は、度々テレビでも紹介されている。ラグビー部はというと、安江選手が在籍していた頃、花園はおろか、都大会1回戦負けという弱小チームだったという。ラグビー部にグランドの使用権はなく、空き教室にマットを敷いてタックル練習、ラインアウトはコンクリートの中庭で行っていたという。リフトされてボールをキャッチするロックやフランカーの選手が膝を壊すのを恐れて「ゆっくり降ろして、ゆっくり、ゆっくり」と声をかけながらのラインアウト練習。これで強くなったら、映画になるレベルだ。

では大学はどうなのだろう。大学選手権9連覇という不滅の大記録を打ち立てた帝京大学ラグビー部。附属とはいえ、そんな弱小チームから行けるのか?行けたのだ。当時、普通に進学を考えていた安江少年の頭に帝京はなかったが、帝京大学ラグビー部の練習に参加した時に、岩出監督に「帝京はどうだ?」と聞かれて、曖昧に答えたら、次の日高校行ったら推薦が決まっていたという。もちろん、強豪校から推薦入学してきたエリートに負けない努力をしたから、トップリーグへ道が開けたわけなのだが。

ここまでは本当の雑草話。次からが、雑草魂発揮の話になる。名門神戸製鋼コベルコスティーラーズから三菱重工相模原ダイナボアーズへの移籍だ。「あの時僕の中で、神戸製鋼でキャリアも終えるのが一番綺麗なのかなって自分の中で思いはあってですね、やはりあのチームにはスター選手が凄く揃ってまして、雑草がこのままみんなと華々しく終えていいのかなと、ちょっとふと30を越えた時に思ってしまってですね。本当雨風厳しい中に吹かれて、根をはる、雑草、もう一度雑草に戻りたい、戻って最後を終えたいなって。」もう一度初心に帰ってと言うことなのか、選んだ厳しい環境が三菱重工相模原ダイナボアーズだった。

スタイルも雑草魂にぴったりだったという。「いざ来てみたら凄く愚直にラグビーに対して向かい合うというか、必死ながらもやっていくっていう姿勢が何か僕が感じた泥臭く生きていく、雑草魂にはピッタリだなっていう風に感じ、何か自分をおとし込んだみたいな感じでしたね、凄くチームに。親近感も沸きました。」

ダイナボアーズのキャラクターはイノシシ。イノシシの好物の一つが雑草。ユニフォームは草を思い出させる鮮やかな緑。雑草好きの安江選手には、良く似合うわけだ、そう思った。

               モリタニブンペイ


※注 三菱重工相模原ダイナボアーズのユニフォームの緑は地元密着、相模原市のカラーに由来します。決して雑草色ではありません。

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来週のゲスト

落合啓士さん(ブラインドサッカー

落合啓士さんは横浜出身の45歳。

10歳の頃から、徐々に視力が落ちる網膜色素変性症にかかり、18歳で視覚障害者に。

25歳でブラインドサッカーと出逢い、2003年にはじめて日本代表へ選出されます。

2013年からは日本の背番号10番を背負い、キャプテンとしてチームを牽引。

2010年には、横浜で神奈川県初のブラインドサッカーチームブエン・カンピオ・ヨコハマ を設立。

ブラインドサッカーの普及活動とともに、地域貢献活動を積極的に行っています。

また、2020年、松本山雅B.F.C.の監督に就任。

日本初の全盲監督として指導して活動しています。

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