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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Flying B / AK-69 』

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サントリーサンバーズ大阪・小野寺太志選手のHero's Musicは、AK-69の『Flying B』。「歌詞にもあるんですけど、地べたから来たみたいな部分が僕に凄い合ってて、うまくいかない時期だったり、なかなか結果が出なかった時期を経験しているからこそ、羽ばたく為の羽が生えたっていう部分の歌詞があって、そこが凄い格好良くて、毎回試合の前だったり、大事な時には聴いてます。」

「障がいがあるからこそ伝えられることがある」パリパラリンピック銀メダリスト福永凌太選手がロサンゼルスまでの4年で高めたい自身の価値!!

「パラスポーツを選べていたから今がある。」

パラ陸上を始めてメダリストになっただけではなく、福永選手はいろんな気づきや学びを手にしていた。

福永選手は中京大学陸上部で健常者と一緒に陸上のトップを目指していた時、目が不自由だというハンデを言い訳にしなかったという。病気が進行して高校時代にやれていたことが出来なくなった時に、出来ないことを自分の心が弱いからだと思っていた。

しかし、パラ陸上を始めて、周りの人に助けてもらったり、出来ないことをお願いしていいんだと知った。「自分は自分でいいんだな」と。

パラ陸上を始めて、自分の障がいと初めて向き合い、障がいがあるからこそ伝えられることも見つけていた。「何かコンプレックスがあるとか何か出来ないことがあるっていう意味だと、誰しもが持っていると思うんですね。僕達パラアスリートは、そういった何かやりたいけど、何かコンプレックスとかそういうことで1歩踏み出せないみたいな人達にとって、きっかけになり易いんじゃないかなと思う。月並みな意見ですが、何か勇気を与えたい、希望を与えたいみたいな、1歩踏み出すきっかけを与えたい、コイツが出来るなら、俺でも出来るかもなみたいな感じでもいいんですけど、本当にそういう風に思ってもらえたら幸いだなと思っています。」

福永選手はこうも言った。「健常者の陸上の世界からパラ陸上が分かれているわけではなくて、陸上競技というものがあって、そこに健常者の陸上とパラ陸上がある。」

これは多くの人が気付いていない気がする。区別することではなく、多様性として内包する。この考えは障がいのある人ない人、みんなが共通して持つべきものだ。

福永選手は自身の気づきを広める為に、次の4年間の目標は、福永凌太としての価値を高めていきたいという。パラ陸上をより多くの人に知ってもらう為に、福永選手がメディアになる。福永凌太を知り、応援してもらうことで、パラ陸上を知ってもらう。これは共生社会実現の近道だと思う。

ハンディキャップによって活躍の場を増やした福永選手の次なる活躍、本当に楽しみだ。皆さんも福永凌太選手の今後に注目して欲しい!

        モリタニブンペイ

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来週のゲスト

野﨑零也選手

(川崎ブレイブサンダース)

野﨑零也選手は佐賀県出身の29歳。

ふたりのお兄さんの影響で小学生の時にミニバスを始め、白石町立有明中学校から佐賀県立佐賀東高等学校、白鴎大学へ進み、大学時代には関東大学リーグ戦、インカレで優秀選手賞を受賞。

また、U-22日本代表候補にも選ばれています。

大学3年生から2シーズン連続でファイティングイーグルス名古屋の特別指定選手に登録され、卒業後にプロ契約。

群馬クレインサンダーズを経て昨シーズンから川崎ブレイブサンダースに加入しました。

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