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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Meneo  /   Fito Blanko  』

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横浜DeNAベイスターズ京田陽太選手のHero's Musicは、Fito Blankoの『Meneo』。「僕の打席の登場曲でもありますし、ラテン系というか、このリズムが結構好きなんで、はい、これにしました。」

京田陽太選手、横浜へようこそ!

シーズン終了後に、横浜に来て本当に良かったと言ってください!!


京田陽太選手の中日ドラゴンズから横浜DeNAベイスターズへのトレードを報じた新聞には“電撃”の文字が躍った。昨シーズンこそ不調で2軍落ちもしたが、京田選手は入団1年目からショートのレギュラーとなり、新人王を獲得。その後も走攻守三拍子そろった選手として活躍して選手会長も務めていた、いわば球団の顔。ドラゴンズファンならずとも電撃だった。それは京田選手ご本人が一番衝撃を受けたことでもあったはずだ。最初にトレードを告げらえた時の話から始まったインタビュー、京田選手は一言も中日への恨み節は語らなかった。ただ感謝、感謝、感謝という言葉を何度も繰り返した。それはベイスターズへの感謝でもあった。「チャンスをベイスターズさんに頂いたので、嬉しかった。」

そして心機一転、ベイスターズで選んだ背番号は中日時代のチームメイト、2021年に亡くなられた木下雄介投手と同じ98番。「同期入団でもありますし、凄い友達というか、家族ぐるみでもよく食事に出かけたりとか、シーズンオフには一緒にどこかに出かけたりとか、まさか亡くなるとは思ってなかったんですけど、僕にとっては大切な方でしたので、また一緒に戦えたらなと思って。」大好きな野球を諦めきれずに育成から這い上がった亡き親友は志半ばで病に倒れた。大好きな野球を是非と請われた横浜で続ける京田選手の感謝と誓いが良く表れた背番号だと思う。

「試合に出たいのでポジションはもうどこでもやるっていう気持ちです。」と語る京田選手。キャンプ中はサードの守備練習もやっていた。厳しいポジション争いの中にある京田選手、アピールポイントは?という問いに特にないと謙虚すぎる答えの後で、「一つあるとすれば140試合近く試合に出続けれる体力というか、そこは自分も自信のあるところですし、やっぱり140試合って結構きついんですよね。」中日で何年もレギュラーを張ってきた矜持が垣間見えた。

目下の課題は好不調の波を減らすこと。「安定した成績を残す為にはちゃんとしたタイミングの取り方であったり、バットの出し方とか、そういうところを今、石井コーチといろんなことを話し合いながらやっている。」という。広島で鈴木誠也選手、ヤクルトで村上宗孝を育てた同じポジションの名伯楽は最高のアドバイザーになってくれるはずだ。

謙虚な言葉が続いたインタビューは、新たなシーズンに挑む京田選手の強い決意が感じられた。「俺はこれからだ」と。シーズンが終わった時、横浜に来てよかったと、心から思って欲しい。そして僕らは、刺激的な補強を喜んでくれた京田選手に感謝したいと思う。

モリタニブンペイ

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来週のゲスト

入江大生投手横浜DeNAベイスターズ

入江大生投手は栃木県出身の24歳。

作新学院高では1年秋からベンチ入りし、

2年生の夏には夏の甲子園大会に出場。

3年夏には主に一塁手として出場し3試合連続本塁打を放つなど、作新学院の54年ぶりの全国制覇に貢献しました。

明治大学進学後は投手に専念。

2020年10月のドラフトで横浜DeNAベイスターズから単独1位指名を受け入団。

1年目の2021年はヒジの手術もあり4試合の登板に終わりましたが、リリーフに転向して迎えた2年目の昨シーズンは、チーム3位の57試合に登板。

夏場以降は勝ちパターンの一翼を任されました。

今シーズン、悲願の優勝へフル回転の働きが期待されています。

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