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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『  Something Just Like This  /  The Chainsmokers & Coldplay  』

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ウルフドッグス名古屋所属、バレーボール日本代表小川智大選手のHero's Musicは、The Chainsmokers & Coldplayの『Somethig Just Like This』。「僕の好きなメロディーというか、とにかく歌の流れが凄い好きなので聴いてますね。試合前に聴いたり、リラックスする時に聴いてます。」

リベロは小川智大選手のサンクチュアリ。

「とにかく目立ちたい」小川選手がパリで一番目立つ姿が目に浮かぶ!!

人は育つ環境で変わる。ほとんどのアスリートがスポーツを始めたきっかけは家族の影響や学校や地域にスポーツクラブがあったからといった環境がほとんどだ。しかし、成長過程でそのスポーツにのめりこみ、追及していくのは個の強烈な意思が不可欠だ。結果、そのスポーツ、競技、種目に最適のアスリートに進化する。

横浜生まれのバレーボール日本代表、小川智大選手はサッカーがやりたかったのに、お姉さんがバレーボールをやっていた流れでバレーボールを始めた。背は高くなかったけれど、スパイクをガンガン打っていて、将来は絶対エースになると思っていたというのだから、運動能力が非常に高かったのだろう。しかし、バレーボールのスパイカーには身長の高さが求められる。

「中学生ぐらいの時に気付きましたね。」アタッカーとしての限界を知った小川選手は上でやるために「リベロ一本でやっていくぞという気持ちになりました。」と切り替える。

バレーボール選手として生き延びるための選択だったが、それは目立ちたがり屋の小川選手にはぴったりだった。「僕が元々プライベートは別として、バレーをやっている以上は目立ちたいんですよ。とにかく目立ちたい。俺はここにいるぞっていうのを見せたいので、やっぱりレシーブでもたくさん拾って、2本目のトスでもたくさん上げて、とにかく会場に来ている皆さんにも、テレビ越しに見て下さっている皆さんにも、ひたすら小川はここにいるぞっていうのを見せたいですね。」リベロはユニフォームも一人だけ色が違う。「レシーブしかないんですけど、レシーブだけで目立てます。」リベロという環境は小川選手のサンクチュアリだったわけだ。

小川選手は中学時代に将来はバレーボールのプロ選手になって日本代表、海外でプレーするという目標を作る。プロとなり、日本代表にもなった。残す海外でのプレーについて尋ねると、「海外でプレーするっていうチャンスは、23、24才ぐらいの時には話は来てて、去年も一昨年もそういう話はかなり来てたんですけど、一番はやっぱりパリオリンピックに向けてだったので、そこを考えた時に、今じゃないなっていう風に思って、はい、やめましたね。」と即答した。すでに自分の成長のための環境を小川選手は選び取っているわけだ。

目標とする、オリンピックでは選手の登録人数が12人になり、リベロは東京オリンピック同様1人になることが予想される。日本代表で確固たるポジションを得るために今シーズンは大切だ。「自分が出るんだっていう強い気持ちを持って今も練習に励んでいます。」小川選手にはパリへの道が見えている。自信溢れた小川選手の話を聞いてパリでレシーブしまくって一番目立つ小川選手が私にも見えて来た。がんばれ、小川智大選手!

                   モリタニブンペイ

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来週のゲスト

藤田一也さん(横浜DeNAベイスターズ)

藤田一也コーチは徳島県出身の41歳。

鳴門一高から近畿大学を経て2004年ドラフト4巡目で横浜に入団。

早くも1年目の7月に1軍デビューを果たし、主に内野のサブとして堅実な守備を見せるもレギュラー獲得には至らず、2012年6月にトレードで楽天に移籍。

楽天ではセカンドのレギュラーとなり、副キャプテンとなった2013年は2番、セカンドに定着しチームの初優勝、日本一に貢献し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も獲得しました。

一軍出場のなかった2021年10月に戦力外通告を受けると、現役にこだわり楽天を退団すると、12月に古巣ベイスターズに復帰。

2022年は主に代打で33試合に出場し、勝負強さを発揮します。

そして2023年シーズン限りで現役を引退。

新シーズンからのファーム育成コーチを務めることになりました。

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