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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Fighting Man  /   清木場俊介   』

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横浜ビー・コルセアーズ キング開選手のHero's Musicは、 の清木場俊介の『Fighting Man』。「とにかく歌詞が良くて、自分のモチベーションを高めるような歌詞、どんな高い壁があってもそれをぶっ壊して突き進めっていうような曲なんですけど、もちろん自分の人生にアップダウンがあって、バスケがあまり上手くいっていない時でもこの曲を聴いてモチベーション上げてよし明日も頑張ろうって気持ちになるのでこの曲を選びました。」

梶村祐介選手のドラマを知れば応援せずにはいられない!

横浜をラグビーの街に!横浜キヤノンイーグルスと梶村祐介選手を応援しよう!!

アスリートのドラマを知れば知る程、応援したくなる。横浜キヤノンイーグルスのキャプテンとしてクラブを初めてのプレーオフトーナメントに導いた梶村祐介選手もそんな選手だ。

2019年のワールドカップ、後ほんの少しのところで梶村選手はメンバーから外れた。「6月、7月で当時宮崎合宿っていう、本当にタフで一日中ラグビーするっていう1カ月半の合宿があって、その合宿を経て最後北海道で10日間の合宿がありまして、そこの最終日にワールドカップメンバー発表があって、目の前のスクリーンに、ひとりひとりのその名前と顔が、選ばれた選手は映し出されていく。そこに入っていない選手は落選するっていうことで。そこに名前が無くて。」落選するメンバーにとっては、こんな残酷なメンバー発表はあるまい。

梶村選手は、その後の日本中を巻き込んだワールドカップの熱狂の外にいた。

「日本代表の試合はライブでは一度も見なかったですね。まあ当時見れなかったに等しいですけど。やっぱりなかなかそれを受け入れられない自分がいたり、もちろん日本代表の活躍は嬉しかったし、ベスト8を決めた時も嬉しかったですけど、どこか全力で喜べない自分がいたり、凄い心境的には難しい時期でしたね。」

その悔しさから今がある。ワールドカップ後、サントリーサンゴリアスで出場機会に恵まれず、くすぶっていた梶村選手を「俺なら成長させる自信がある」とイーグルスへ誘ってくれたのが沢木ヘッドコーチ。沢木さんは今シーズン前には選手としてレベルアップするのにリーダーになることも必要だと梶村選手をキャプテンに指名した。そんなこと言われたら頑張らない訳がない。それまで好不調の波があった梶村選手はリーダーとしての責任感から、高パフォーマンスを常に発揮するようになる。その結果がシーズン終盤になってもチーム力が落ちなかったイーグルスに繋がった。名将・沢木さんはモチベーターでもある。そもそも梶村選手が高校生ながらエディージャパンの練習に呼ばれた時、エディさんに推薦したのが沢木さんだ。

「チームがひとつになれている。」と梶村選手は言う。ラグビーどころ、神戸製鋼の地元で育った梶村選手は「横浜にラグビーを根付かせたい。もっと身近にチームと選手を感じて欲しい。」という。梶村選手の願いを叶えるためには、チームを強くすることが一番の近道だ。13日からのプレーオフトーナメントがその舞台だ。そこでの活躍の先には梶村選手が「一番憧れるチームで一番格好いいチーム」という日本代表が、フランスワールドカップへの道があるはずだ。

全力で応援したい。頑張れ、梶村祐介選手!頑張れ、横浜キヤノンイーグルス!!

         モリタニブンペイ

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来週のゲスト

内海春菜子選手(サクラセブンズ)

内海 春菜子選手は相模原市出身の24歳。

6歳から相模原ラグビースクールでラグビーを始め

高校は國學院大學栃木高等学校、大学は流通経済大学と強豪校でラグビーを続けます。

大学卒業後、地元神奈川のヨコハマ・ティーケイエムに入団。

2022年から7人制女子日本代表、サクラセブンズのメンバーとなります。

そして昨年11月パリオリンピック出場をかけた7人制ラグビーアジア予選で優勝し、3大会連続のオリンピック出場を決めたサクラセブンズでも活躍しました。

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