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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組Xで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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西園寺 加栞

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『 Fight Song  / Rachel Platten 』

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富士通レッドウェーブ・赤木里帆選手のHero's Musicは、Rachel Plattenの『Fight Song』。「この曲はすごい背中を押してもらえる曲だなっていう風に思ってて、自分が頑張ろうっていう風に思える曲です。」

日本競泳界のエースの系譜を継ぐ本多灯選手にはストーリーがあった。パリオリンピック、本多選手が灯す日本競泳の明るい灯!!

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スターになる選手には、何かしら運命的な出会いだったり、ストーリーがあるものだが競泳日本代表のエース、本多灯選手もそういうアスリートだった。2004年、テレビでオリンピックが放送されていたアテネオリンピックで北島康介選手が金メダル獲ったのを見たところから始まる。北島選手の活躍に刺激を受けた本多少年は「これ出たい」と思って幼稚園の卒業アルバムには「将来の夢、オリンピック出たい」と書いていた。

「俺だけど分かる?北島康介です。」。ISL、国際水泳リーグに日本から参加する東京フロッグキングスのゼネラルマネージャーを務める北島さんからの電話に、「携帯も投げ出すぐらいびっくりしちゃって」その時のことを本多選手は楽しそうに振り返る。テレビの向こうにいた憧れの北島さんからのこの電話で本多選手の運命は大きく変わる。

「東京フロッグキングスに選出していただいて、それが本当にきっかけでオリンピックに出場権取れて、銀メダルも取れたと思っている。日本代表選手もそうですし、他のチームの世界の選手が実際何をしているのか生で見られた。一石二鳥どころじゃない、三鳥、四鳥ぐらいの、本当にそれぐらい得るものが多かった。」それまで代表に縁がなかった本多選手が急成長して、自身初の世界大会となった東京オリンピックで銀メダル。そんなよくできた話があるものなのだ。

北島選手の次の日本競泳のエースとして活躍した萩野公介さんからも、大切な言葉をもらっていた。「金メダルを取ることが全てじゃない。どんな状況だったとしても今自分がしている努力は間違いじゃない。もっと広く考えていった方が人生も水泳も楽しいよと言ってくださって、それが凄い僕を広げてくれた。金メダルを取った萩野公介さんだからこそ、僕に響いた凄い印象強い言葉でした。」

東京オリンピック後、エースと呼ばれるようになった本多選手は、一競泳選手ということを超えて、エースになりたい、社会に対しても好影響を与える存在になりたいと言う。もちろん金メダルを目指しているのだが、視線の先は50メートル先のゴールじゃないのだ。こういう人が北島さん、萩野さんといったエースの系譜を繋いでいくんだなと思った。やっぱりよくできたストーリーなのだ。

東京オリンピック、昨年の世界水泳、日本競泳陣は期待された成績が残せず、少し暗くなっている。今年のパリオリンピック、本多灯選手が明るい灯を灯してくれる、そう思った。

                 モリタニブンペイ

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来週のゲスト

小泉怜史選手

(三菱重工相模原ダイナボアーズ)

小泉怜史選手は相模原市出身の25歳。

早稲田大学のスタンドオフとして活躍した

父・剛さんの影響もあって、3歳から相模原ラグビースクールで、ラグビーを始めます。

早稲田実業高校時代は花園にも出場。

早稲田大学を経て、アーリーエントリーで2023年1月

三菱重工相模原ダイナボアーズに加入しました。

今シーズンはプレーオフを狙うチームで

その活躍に期待が集まっています。

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