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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Circles  /  SEVENTEEN 』

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富士通レッドウェーブの内尾聡菜選手のHero's Musicは、SEVENTEENの『Circles』。「この曲は、SEVENTEENさんって13人いるんですけど、自分達もグループで行動していて、その中で今はつらいけど前向いて頑張っていこうっていう感じの曲で、私が昨シーズン体調不良で何回も離脱している時に出会った曲で、それで今落ち込んでいるけど、前向いてみんなで頑張っていこうよって言って、好きな歌詞があるんですけど、忘れないで僕達はいつでも一緒だということを、変わらない君の手を離さないからっていう歌詞があるんですけど、本当に励まされた曲です。」

遅咲きの日本短距離女王・君嶋愛梨沙選手の夢は

「人に何かしてあげられる人になること」

陸上女子100メートル君嶋愛梨沙選手は26歳で日本選手権優勝した。遅咲きである。ここまでの陸上人生は、文字通り山あり谷ありだ。

中学で始めた陸上、早くも2年生で当時の200メートル記録を更新。ここまでは良かったが、地元を離れて入学した陸上強豪校、埼玉栄高校で故障が発覚。高校時代をほぼリハビリに費やすことに。日本体育大学入学後も記録は伸びず、コーチの勧めでボブスレー選手発掘プロジェクトのトライアウトを受けて合格、ボブスレーと陸上の二刀流アスリートとなった。ボブスレー日本代表チームに入り、何と初戦のヨーロッパカップでいきなり優勝。世界選手権でも7位となり、日本男女通して初の入賞という快挙を成し遂げる。大学4年生のシーズンには平昌オリンピック出場を目指したが、出場に必要なポイントを得られず、出場はかなわなかった。その後、協会の方針が変わり、ボブスレーを諦め、再び陸上に専念することに。そして、やっとつかんだ日本一。中学2年生での日本一から、既に10年以上の月日が流れていた。

現在の目標はパリオリンピックの参加標準記録という君嶋選手、人生の目標はより苦労人らしいものだった。人に何かしてあげられる人になりたいという。きっかけは高校時代。寮に入らずに一人暮らしをしていた君嶋選手が味わったチームメイトの家族からの優しさだった。「凄く可愛がってもらって、家においでって言ってくださったり、ご飯作ってくださったり、お弁当作ってくださったり、本当に自分の娘のように可愛がってくださって、かなりケガもあったんで、本当にやめたいなって思うこともたくさんあったんですけど、それでも頑張ってこられたってところは本当に皆様のサポートのおかげだった。」

それ以前、子供の頃から家庭でも「世界では凄い貧困が、陸上がやりたくても出来ない子もいるよねっていう話もしていた」という君嶋選手、「具体的には貧困層のところに行って陸上競技を自分が出来る限り指導したりだったりとか、物資ですよね、そういう風な提供だったりっていうのが出来ればいいのかなって思っていて、今ひとつ日本で考えているのが、チャリティ大会っていうか、ボランティアみたいな感じでみなさんに来ていただいて、選手も来ていただいて、そこでいろんなスポンサーさんに支援を募って、そこの集まったもので困っている子供達とか、スポーツがしたくても出来ない子供達に対して何か支援が出来るようなイベントというか、そういう風なチャリティ大会が出来たらいいのかなっていう風には今のところ考えてはいます。」と夢は広がる。

高校時代の故障で走れなかった時期、ボブスレー挑戦した日々、全てポジティブに話すパワフルな君嶋選手。キャリアは長いが、痛みを気にせず、陸上に専念した時間は、それほど長くない。今、ちょうど冬眠から目覚めた春ぐらいなのかもしれない。大きな夢に向かって、陸上人生の夏、パリの夏に大きな花を咲かせてほしい。

                   モリタニブンペイ

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来週のゲスト

植木理子選手

(日テレ・東京ベルディベレーザ

植木理子選手は川崎市出身の23才。

小学校5年生の時にAC等々力のサッカー体験会をきっかけに入団。

2012年に日テレ・ベレーザ下部組織のメニーナ・セリアスに入団。

チームではエースとしてセリアス、メニーナ、ベレーザのタイトル奪取に貢献。

並行して10代の頃から世代別の代表で活躍し、

2018年のU-20ワールドカップでは、5ゴールを挙げ世界一に貢献。

フル代表でも、翌2019年のフランスワールドカップメンバー入りを果たします。

しかし、メンバー発表後のリーグ戦で負傷し、大会直前に離脱。

4年前の想いも胸に、ワールドカップ出場へ向けて挑み続けています。

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