遅咲きの日本短距離女王・君嶋愛梨沙選手の夢は
「人に何かしてあげられる人になること」

陸上女子100メートル君嶋愛梨沙選手は26歳で日本選手権優勝した。遅咲きである。ここまでの陸上人生は、文字通り山あり谷ありだ。
中学で始めた陸上、早くも2年生で当時の200メートル記録を更新。ここまでは良かったが、地元を離れて入学した陸上強豪校、埼玉栄高校で故障が発覚。高校時代をほぼリハビリに費やすことに。日本体育大学入学後も記録は伸びず、コーチの勧めでボブスレー選手発掘プロジェクトのトライアウトを受けて合格、ボブスレーと陸上の二刀流アスリートとなった。ボブスレー日本代表チームに入り、何と初戦のヨーロッパカップでいきなり優勝。世界選手権でも7位となり、日本男女通して初の入賞という快挙を成し遂げる。大学4年生のシーズンには平昌オリンピック出場を目指したが、出場に必要なポイントを得られず、出場はかなわなかった。その後、協会の方針が変わり、ボブスレーを諦め、再び陸上に専念することに。そして、やっとつかんだ日本一。中学2年生での日本一から、既に10年以上の月日が流れていた。
現在の目標はパリオリンピックの参加標準記録という君嶋選手、人生の目標はより苦労人らしいものだった。人に何かしてあげられる人になりたいという。きっかけは高校時代。寮に入らずに一人暮らしをしていた君嶋選手が味わったチームメイトの家族からの優しさだった。「凄く可愛がってもらって、家においでって言ってくださったり、ご飯作ってくださったり、お弁当作ってくださったり、本当に自分の娘のように可愛がってくださって、かなりケガもあったんで、本当にやめたいなって思うこともたくさんあったんですけど、それでも頑張ってこられたってところは本当に皆様のサポートのおかげだった。」
それ以前、子供の頃から家庭でも「世界では凄い貧困が、陸上がやりたくても出来ない子もいるよねっていう話もしていた」という君嶋選手、「具体的には貧困層のところに行って陸上競技を自分が出来る限り指導したりだったりとか、物資ですよね、そういう風な提供だったりっていうのが出来ればいいのかなって思っていて、今ひとつ日本で考えているのが、チャリティ大会っていうか、ボランティアみたいな感じでみなさんに来ていただいて、選手も来ていただいて、そこでいろんなスポンサーさんに支援を募って、そこの集まったもので困っている子供達とか、スポーツがしたくても出来ない子供達に対して何か支援が出来るようなイベントというか、そういう風なチャリティ大会が出来たらいいのかなっていう風には今のところ考えてはいます。」と夢は広がる。
高校時代の故障で走れなかった時期、ボブスレー挑戦した日々、全てポジティブに話すパワフルな君嶋選手。キャリアは長いが、痛みを気にせず、陸上に専念した時間は、それほど長くない。今、ちょうど冬眠から目覚めた春ぐらいなのかもしれない。大きな夢に向かって、陸上人生の夏、パリの夏に大きな花を咲かせてほしい。
モリタニブンペイ