スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

『  がんばれ / Honey L Days 』

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横浜DeNAベイスターズ桑原将志選手のHero's Musicは、Honey L Daysの『がんばれ』。「僕自身頑張っていない訳じゃないですけど、もちろん毎日全力尽くすのが僕のモットーなんですけど、それの背中押してくれるような、さらに頑張ろうっていう気持ちにさせてくれる曲ですね。」

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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レスリング・文田健一郎が狙う五輪金メダル。父直伝の技で恩返しを


父と子の夢を叶える東京オリンピック

金メダルで恩返しを誓う孝行息子 文田健一郎選手




アスリートの話を聞くと、親御さんに会ってみたくなる。競技を始めるきっかけや環境は、親御さん抜きには語れないし、親が同じ競技の経験の場合、親子2代の夢と努力の結晶という気がしてくるからだ。

レスリング・グレコローマン60キロ級・日本代表・文田健一郎選手(所属ミキハウス)もそんな一人。父は山梨・韮崎工業高校レスリング部・文田敏郎監督。自身、選手として全日本選手権2位になったこともある方。父・敏郎さんは、文田選手が子供の頃から、子守がてらにレスリング道場に連れて行ったが、決してレスリングをやるように勧めたことはなかったと言うが、文田選手の記憶は真逆。「グローブは買ってもらえず、レスリングシューズを受け取るみたいなことばっかり。」と、強要はしないが、お父さんに外堀はしっかり埋められていたようだ。

そして、中学に入学すると、「レスリングをやれば遠征で全国各地に行けるぞ」と言われて、文田選手をその気にさせ、中学2年生の終わりに「グレコローマンどうだ」と勧め、「海外の選手の大きな投げばかりのハイライト映像を見せられて」グレコローマンの魅力にはまり、「父に反り投げを教わって、それから一番の得意技になりました」という。さらに極めつけは2012年、中学生の息子をロンドンオリンピックに連れて行き、教え子の米満達弘選手がフリースタイル66キロ級で金メダルを獲る瞬間を見せる。大観衆の前で父の教え子がヒーローになる姿に感動した文田選手は「自分もこの舞台に立って勝ちたいとモチベーションが上がった」と、世界を目指すようになる。

文田選手が「完全な洗脳」と笑って言うが、これほど幸せな洗脳があるだろうか。結果、文田選手は敏郎さんが思い描いた通り、いやそれ以上の選手になった。

東京オリンピックでの金メダルが有力視される孝行息子は言う。「レスリングの基礎ベースの部分は、全て父から教わった。高校まで、父は大手を振って喜ぶ姿は見せなかったんですけど、大学に入ってからは結果を残す度に、凄く喜んでくれるので、父への恩返しとして、東京できっちり金を獲らなきゃって凄く思います。」

多くの日本人が、こんなに素直なメダリストを育てた親の顔を見てみたいと思う瞬間は、間もなくやってくる。そしてその時、夢を叶えた世界一幸せな父の顔も見られるはずだ。

                   モリタニブンペイ 

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来週のゲスト

落合啓士さん(ブラインドサッカー

落合啓士さんは横浜出身の45歳。

10歳の頃から、徐々に視力が落ちる網膜色素変性症にかかり、18歳で視覚障害者に。

25歳でブラインドサッカーと出逢い、2003年にはじめて日本代表へ選出されます。

2013年からは日本の背番号10番を背負い、キャプテンとしてチームを牽引。

2010年には、横浜で神奈川県初のブラインドサッカーチームブエン・カンピオ・ヨコハマ を設立。

ブラインドサッカーの普及活動とともに、地域貢献活動を積極的に行っています。

また、2020年、松本山雅B.F.C.の監督に就任。

日本初の全盲監督として指導して活動しています。

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