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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Flying B / AK-69 』

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サントリーサンバーズ大阪・小野寺太志選手のHero's Musicは、AK-69の『Flying B』。「歌詞にもあるんですけど、地べたから来たみたいな部分が僕に凄い合ってて、うまくいかない時期だったり、なかなか結果が出なかった時期を経験しているからこそ、羽ばたく為の羽が生えたっていう部分の歌詞があって、そこが凄い格好良くて、毎回試合の前だったり、大事な時には聴いてます。」

指導者として箱根駅伝の監督車に乗るのが夢だった!神奈川大学中野剛監督はまだ夢の途中!

神奈川大学・中野剛駅伝監督はロマンチストだ。お話の中で何度も夢という言葉を口にした。

「私は指導者としてのキャリアを母校で終えるのは夢でした。」

「指導者として箱根駅伝の監督車に乗るのが夢でした。」

中野さんは実業団の佐川急便の監督として2012年のロンドン五輪男子マラソン代表の山本亮選手らを育てた。実業団でオリンピックのマラソン選手を育て、コーチとしてオリンピックに出場した。これ自体大変な栄誉だが、それよりも母校に戻って錦を飾りたい。そして監督として初めての予選会での出場権獲得、中野監督の一つの夢がかなった瞬間だったのだ。

チームでは選手から「剛さん」と呼ばれている選手との距離が近い指導者、そんな中野監督のテーマは「発見」。毎日選手と接する中で、選手の「こんな面があるんだな」というところを見つけて、選手それぞれに合った指導をし、伸ばしていく。個を尊重する時代の指導者らしい。そして、それは速い4年生が大量に抜けたチームの成長に欠かせないことだった。

神奈川大学には外国人留学生のような大エースはいない。個で戦えないなら、チームとして総力戦、選手、補欠、マネージャーも含めた全員で勝ちに行く。箱根駅伝予選会、気温25度を超える最悪のコンディションでエースが途中棄権しても、集団走で出場権を勝ち取ったシーンは、まさに中野監督の言う総力戦の勝利だった。

中野監督は選手時代の3度の箱根駅伝で3回ともトラブルに見舞われた。「個人のレースだったらすぐ止めるだろうが、仲間のこと考えタスキを途切らせてはならないという使命感で走っていた。」コースを走っているのは1人でも、全員で走っている。中野監督の総力戦で勝つという信念は箱根駅伝本番にもきっと通じるものだと思う。

「私も箱根3回走らせていただいたものの、2年生まではうまくいかなかった。大学辞めたいとも思った。でも箱根駅伝1回走りたい。諦めなければ扉は開いてくる。いまだにその夢を追いかけている。」まだまだ夢の途中、ロマンチスト中野監督には、箱根駅伝がよく似合う。

           モリタニブンペイ

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来週のゲスト

野﨑零也選手

(川崎ブレイブサンダース)

野﨑零也選手は佐賀県出身の29歳。

ふたりのお兄さんの影響で小学生の時にミニバスを始め、白石町立有明中学校から佐賀県立佐賀東高等学校、白鴎大学へ進み、大学時代には関東大学リーグ戦、インカレで優秀選手賞を受賞。

また、U-22日本代表候補にも選ばれています。

大学3年生から2シーズン連続でファイティングイーグルス名古屋の特別指定選手に登録され、卒業後にプロ契約。

群馬クレインサンダーズを経て昨シーズンから川崎ブレイブサンダースに加入しました。

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