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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組ツイッターで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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安藤咲良

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『 Circles  /  SEVENTEEN 』

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富士通レッドウェーブの内尾聡菜選手のHero's Musicは、SEVENTEENの『Circles』。「この曲は、SEVENTEENさんって13人いるんですけど、自分達もグループで行動していて、その中で今はつらいけど前向いて頑張っていこうっていう感じの曲で、私が昨シーズン体調不良で何回も離脱している時に出会った曲で、それで今落ち込んでいるけど、前向いてみんなで頑張っていこうよって言って、好きな歌詞があるんですけど、忘れないで僕達はいつでも一緒だということを、変わらない君の手を離さないからっていう歌詞があるんですけど、本当に励まされた曲です。」


障がいを活かす

富田宇宙選手がたどり着いた生き方

本日のゲストは、東京パラリンピック競泳男子で、3つのメダルを獲得した富田宇宙選手。富田選手が男子400メートル自由形(視覚障害S11)で銀メダル獲得後、語った「障がいを負って、自分が思い描いていた人生とは全く違う道を歩むことになったけど、水泳でメダルを獲ることを見せることが出来て、自分が障がいを負った意味がこの瞬間にあったのかなと。メダルを頂いてそういう実感が湧いてきた」この発言に、こんなことを言える人がいるんだ!?と感動して、出演をオファーした。障がいを負った意味とはどういうことなのか、聞いてみたかったのだ。

 そしてそれはとてつもなく深く、複雑で、残酷な思考の末にたどり着いた、哲学的な意味だった。まず当たり前のことかも知れないが、いつかは視力を失う進行性の難病にかかった時、富田選手は「人生が終わったなと、はっきり思った」という。そして今もポジティブに切り替えるという感覚、気持ちは持っていない。障がいを負ってから、チャレンジしては諦めての繰り返しで、その中で、どう生きていけば少しでもベターな人生が送れるかを考えてきた。

 熊本県一の進学校に学び、大学進学、そして就職を自らの学力で切り開いていこうと考えていた。富田選手はスポーツを仕事にすることは、自分と一番遠いことだと考えていた。その富田選手がプロのパラアスリートとなった理由は、自分の障がいを活かして活動することを考えた結果だいう。障がいを活かす、富田選手独特の言い回しだ。障がいを負った後も「健常者の人と変わりなくするにはどうしたらいいかを模索してきたんですけど、視覚が悪くなるにしたがって限界が来てしまったんです」。そう障がいを活かすとは、一つの諦観から生まれた、健常者には絶対に出来ないこと、パラアスリートという逆転の発想だ。こうも言う。「自分にしか出来ないこと。目が見えないことをプラスに出来ることの選択肢を考えないと、僕の場合は生きるのが苦しいなと感じました」

 富田選手にとって、パラ競泳は仕事だ。障がいを抱えていてもチャレンジすること。困難を受容する経験も含めて、泳ぐことで伝えて、社会にプラスのインパクトを与えることが職務なのだ。その職務達成の瞬間、それがメダル獲得だった。富田選手が障がい者だから達成できたこと。そしてそれは、富田選手が障がいを、少しだけでもポジティブに捉えることができた、初めての瞬間だったのかもしれない。そう思う。

                   モリタニブンペイ


「メダルよりも自己ベスト更新」。パラ競泳・富田宇宙が記録にこだわり続ける理由とは?

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来週のゲスト

植木理子選手

(日テレ・東京ベルディベレーザ

植木理子選手は川崎市出身の23才。

小学校5年生の時にAC等々力のサッカー体験会をきっかけに入団。

2012年に日テレ・ベレーザ下部組織のメニーナ・セリアスに入団。

チームではエースとしてセリアス、メニーナ、ベレーザのタイトル奪取に貢献。

並行して10代の頃から世代別の代表で活躍し、

2018年のU-20ワールドカップでは、5ゴールを挙げ世界一に貢献。

フル代表でも、翌2019年のフランスワールドカップメンバー入りを果たします。

しかし、メンバー発表後のリーグ戦で負傷し、大会直前に離脱。

4年前の想いも胸に、ワールドカップ出場へ向けて挑み続けています。

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