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スポーツジャーナリスト・モリタニブンペイが、旬なアスリートにインタビューするスポーツドキュメンタリー。豊富なスポーツ取材経験を生かし、分かりやすい言葉でスポーツの本質に迫ります。ケガや挫折、様々な苦難をものともせず挑戦を続け、夢を追い続けるスポーツヒーローの姿を通じて、 リスナーの皆さんに元気と勇気をお届けします。
アスリート出演情報は番組Xで @HeroesLandmark アスリートへの質問は lsh@fmyokohama.jp

Hero’s Music

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モリタニブンペイ

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西園寺 加栞

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『 Fight Song  / Rachel Platten 』

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富士通レッドウェーブ・赤木里帆選手のHero's Musicは、Rachel Plattenの『Fight Song』。「この曲はすごい背中を押してもらえる曲だなっていう風に思ってて、自分が頑張ろうっていう風に思える曲です。」

気付ける感覚を高めることは誰にも優しい社会、それが本当のバリアフリーだ‼


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寺西一選手は東京パラリンピック・ブラインドサッカー日本代表という選手の顔と、ブラインドサッカーの人気講師という二つの顔を持っている。講師として人に話を伝えるコツを伺うと、笑える、掴みとなる話を用意して、付け焼刃ではないご自分の実体験に熱を込めて、体重載せて話すことだと言う。確かに、寺西選手の話は本当に笑えて、楽しかったという印象と共に、ものすごく心に残る深い、考えさせられる話がたくさんあった。

例えば、視力を失って、ブラインドサッカーを始めたらコートの中は電車も走っていないし、落ちたりもしないし、自由だったという、ブラインドサッカーを始めて感じた歓びを語られた時、話の前に、ホームから転落して亡くなった仲間の話を挟まれるので、僕らが当たり前に享受している安全がどれほど素晴らしいのかがよく分かったし、目の不自由な方の日常を強く強く考えさせられて、目が見える自分が感じることのない、寺西選手が感じた自由の歓びまでリアルに伝わってきた。

寺西選手は、子供の頃、視力の低下が始まっていたが、普通の小学校に通っている。中学校で盲学校に通いだしたころ、目が不自由なクラスメイトばかりという状況に、「自分以外に同じ様に、視覚に障がいを持ってる人が周りにいるっていう状況がなかったので、結構混乱しました。」という。盲学校は目の不自由な寺西選手に必要な学びの場だったはずだが、目に障害を持った寺西選手を健常者が自然に手助けする小学校のコミュニティが当たり前の社会だと思う。寺西選手は大学で再び健常者と机を並べている。健常者用に作られたプログラムを学ぶにはご苦労もあったと思う。しかし、そこで培われたものが寺西選手の誰にもフランクに話す姿勢に表れている気がする。

東京パラリンピックを経たレガシーについて寺西選手はこう話してくれた。「日本はテクノロジーの部分、ホームドアや階段下る自動昇降機、ノンステップバス、そういったテクノロジーの部分って凄く進んでいると思う。ただそこだけを変えていくんじゃなくて、それぞれの人の心っていうか、何か困っている人いないかなって気付ける感覚であったりとか、そういう部分も高めていけると、誰にとっても住み易い社会っていうのが出来るんじゃないかなって思います。」人に優しいとはハードではなく、人が優しいのが理想なのだ。

ブラインドサッカー選手、寺西選手との出会いは、僕にとって大きな学びの宝物になった。ぜひ皆さんにも、ブラインドサッカーの試合や体験会、機会を見つけて参加していただきたい。きっとご自分の優しさレベルを一つ高めることになるはずだ。

                  モリタニブンペイ

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来週のゲスト

小泉怜史選手

(三菱重工相模原ダイナボアーズ)

小泉怜史選手は相模原市出身の25歳。

早稲田大学のスタンドオフとして活躍した

父・剛さんの影響もあって、3歳から相模原ラグビースクールで、ラグビーを始めます。

早稲田実業高校時代は花園にも出場。

早稲田大学を経て、アーリーエントリーで2023年1月

三菱重工相模原ダイナボアーズに加入しました。

今シーズンはプレーオフを狙うチームで

その活躍に期待が集まっています。

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