
パラ競泳・成田真由美さんはインタビューの間、ずっと満面の笑みだった。話を聞いている僕も引き込まれて、ずっと笑顔。辛い体験、苦しい思い出も、全てを魔法のようにポジティブに変えてしまう。
成田さんは話の中で、何度も「貰った」という言葉を繰り返した。貰うは歓びに繋がる。
最初は「病気と障がいを与えて貰って」。そう思えるまでには葛藤も苦悩もあっただろう。しかし、障害を受け入れた。きっかけは13歳の時にせき髄炎が原因で下半身が不自由になった時の入院での出来事。「同じ病室の中で一緒に病気と闘っていった仲間たちが、やっぱり私の入院中に亡くなっていってしまったんですよね。その姿を見た時に、私は死ぬ病気ではない、この子たちは生きたくても生きることが出来なかったっていう命の尊さ、大切さのことを、その小さな子供たちに教えて貰った気がして、なんかそれからいろんなことがある度に、その時のことを振り返って、いや私は命があるんだから、もう一回頑張ってみようっていう気持ちにいつもさせて貰っています。」生きる歓びである。
成田さんは事故や大病も経験されている。それも、成田さんは驚くほどカジュアルに話される。一回目の交通事故は水泳を始めるきっかけになった大会の帰り道。「でもその追突の事故があったから、余計また泳ぎたいっていう気持ちが強くなったし、絶対試合でたいってまた強い気持ちになれたのも、多分その事故が無かったらまた泳ごうっていう、そこまで強い気持ちにならなかったかも知らないので、まずは一回目の事故は、今となっては良しとしてます。」ご本人が良しとするなら、試練ですらない。泳ぐ歓び。
大嫌いだった水泳が好きになった理由は純粋な喜びだった。「水の中だと自由なんですよね。陸にいる時って、この2本の足が異常に重いんですけど、水の中に入った時に当然手で掻くじゃないですか、そうすると当然進むんですよね。その感覚が陸にはない感覚で、凄く新鮮って思えたんですね。それが初めて水に入った時に、『はっ、水の中ってこんなに自由なんだ、何でもっと早くに泳がなかったんだろう』って気持ちに最後なりました。」障害を忘れさせてくれる歓び。
でも世界一になるのは並大抵ではできない。練習がきつくて、ゴーグルの中が涙でいっぱいになるという。それでも日々更新される記録、達成できた歓びが勝るという。
こんなに喜びを日々感じて生きることが出来たら。そう、成田さんは日常にも泳ぎにも、金メダルにも、全てに歓びを感じながら生きている人だった。あんな笑顔で暮らしたい、そう思ったインタビューだった。
モリタニブンペイ